今までとは一線を画すタイトルで何が始まるんだと思われるかもしれません。
普段はブログを読んでくださる方の「パラダイム」形成の一助になればという想いを持ち、通信制大学の学習記録や書籍・モノの紹介をしています。
今回はいろんな書籍や通信制大学での学習を通じて、自分自身がいま感じていることをコラム風に執筆してみようかと思いました。
特に何の紹介もしない記事です。
同調圧力としがらみ
日本は疲れている。そう感じませんか?
コロナ禍によって鮮明になった諸外国との違い。ムラ社会を背景とする同調圧力は、これまでの日本の歴史を振り返ると、良くも悪くも我々のアイデンティティーと言えるのかもしれません。
世間体や他人の顔色をうかがい、いつかの時代の誰かに設定された価値観の中で窮屈に生きている。自分自身も例に漏れずそのような生き方をしているものの、俯瞰してみるとそんな風に思うわけです。
社会のルールを逸脱したり、他人に迷惑をかけることさえしなければ、自分の自由なように生きていいと思うんですよね。
承認欲求を満たすだけの日々
SNSが日常生活の一部になったことで、巷に溢れる承認欲求を満たすだけの投稿。それと同時にマウントを取るような投稿も増えた気がします。
ある投稿に対して、マウントを取ることで誰か幸せになるのでしょうか?マウントを取られた人は不快ですし、マウントを取った人もその一瞬の自己満足だけですよね、きっと。
人によって「幸せ」の定義はもちろん異なります。が、僕自身は昨今の風潮を是とする考えにはなれません。
何も社会全体の効用を考えるべきだ、という主張するわけではありませんが、人が備える本質的な「幸せ」にも目を向けるべきだと思います。
自分自身を大切に
僕自身、ずっとこのような聖人君子のような考えで生きてきたわけではありません。
10代は目立たなければいけないと感じ、20代は会社での出世を考えて生きてきました。
でも、30代に突入し、少しは落ち着きが欲しい。別に馬車馬のように働いて会社で出世することだけが成功ではないし(出世の道が断たれたわけでもなく、仕事で実現したいことはあります)、自分の好きなものを自分の好きなように取り組み、家族との時間を有意義に過ごせれば、それだけで「幸せ」ではないかと。
結局、死ぬ時に他人目線ではなく、自分自身が良い人生だったと思うことができれば、人として生まれてきた生命体の成功なんだろう、と思うわけです。
明日からできること
「自分に素直になって好きなものを好きと言う」
まずはこれが第一歩。そして、これを継続していくしかないのかなと思っています。
僕は興味のあることが次から次へと変化していくので、広く浅くでいろんなものに手を出しがち。
一つのことを深く、とことん追求している人からは、なんだあいつは、と思われることもあるでしょう。
でも、そんなことは知らん。僕は自分の物差しで自分の好きを発信していく。(もちろん他人に迷惑をかけないことは大前提)
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